BMのあゆみ

《1987年》
1987年初夏に信州大学ラグビー同好会が発足。愛称はBurning Muscles。ラグビーを自由に楽しみラグビーを中心とした活動でより良い人間関係を築くのが目的であった。ラグビー好きが集まり活動は開始された。長野県ラグビー協会からも新チームとして承認をうけた。当時には体育会ラグビー部があったが、ラグビー同好会は組織も参加している人間もまったく異なる集団であった。練習は横田グラウンド・かりがね運動場が中心。初めての試合も行われたが完敗。しかし信大サッカー大会では3位に入る健闘!

《1988年》
新入生も加わりラグ同は一気に軌道にのりはじめた。初の菅平合宿も実施され、東北歯科大学との対戦でチームとして初トライ・初勝利を挙げた。長野県選手権大会に初参加し、Bブロックで優勝した。(泣けた)Aブロックとの入替え戦にも勝利し、翌年からAブロック参加が決定した。飲み会も弾け始めた。スペースワンでの爆発が頻発。出入り禁止の危機もあったが乗り切る。

《1989年》
この年第一回クラブチーム選手権が菅平で開催された。この大会は今もつづく大規模なものとなった。この大会にラグ同も参加した。菅平合宿も実施。
長野県選手権大会Aブロックでは長野ラガーズに大善戦するも敗戦。

《1990年》
この年も前年同様数々の大会に参加、所帯もおおきくなりはじめる。松本においては花見コンパ・長野においては河川敷にて長野大宴会が開催される。長野県選手権においては飯田クラブ・岡谷ブルーなど当時長野県最強のチームと試合を重ねるが勝利にはいたらず。


《1991年》
この年には部員数が40名を超える大所帯になる。長野県選手権にはA・Bブロックに1チームづつ参加。
まずまずの成績をのこす。


《1992年〜現在》
いきなり歴史はとぶが、この間体育会が部員不足のため消滅。同好会との合併話も持ち上がるがラグ同は独自の道を歩みその後、体育会へかわったようである。
OB会(おやきーず)も発足し松本近郊にて19年度10月頃OB会を開催している。